カフカ「変身」を 池田満寿夫 が書くと、どうなるか?・・・。純文学らしさは文体・語り口に左右される。

それでは、比較のために
カフカ「変身」を池田満寿夫が書くと、どうなるか?

池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」という短編小説で1977年に芥川賞を受賞した小説家です。

もともと、池田氏は版画家でしたが、この作品ではきらめく感性が素晴らしく効果的に
表現されています。
池田満寿夫の文体は小説家として訓練を受けた人のそれではないのですが、現在形の文章に重きを置いた文体、
見たモノをその美術家としての確かな描写力で表現する姿勢は
純文学系の作品とマッチしています。
むしろ、池田氏がエンタメ系の小説を書くというのは想像できないくらいです。
そのくらい彼の文体・描写(及び、語り口)で書くと、あら不思議、あらゆる文章が文学になってしまいます。

それでは、
カフカ「変身」を池田満寿夫氏が書くと、どうなるか?
はじまり、はじまり。

カフカ「変身」冒頭部分を池田満寿夫氏になった感覚で書いてみました。

目がさめると、寝床の中のいくつもの足が私の意志を無視して
ぴくぴく動いている。
昨日からこうなのか、ついさっきからこうなのか私には思い出せないのだ。
どこからこの足がやってきて、そいつが私の足に寄生し
勝手に動き始めるとすれば、ずっと前から気づいていいはずなのに
今やっと気づいた。
いや、足の誕生は気づくもんじゃない。
夢? 夢にしちゃこの足の痛みはなんなのか?
顔を上げると褐色の腹。
ルーベンスの「 メデューサの首」のようだ。
しかし、ルーベンスはこんな作風だったろうか?