小説を書くときも最低限のルールがある。三人称小説
いくら小説の書き方にはルールがないといってみても限度というものがある。
その一つがこれだ。↓
これは、三人称で小説を書くときのルールで
会話文は口語なのだが、地の文は文語で書かなければいけないというものだ。
なぜかというと、三人称で書いた場合、視点が外にあるため主観的な地の文が書けなくなるのだ。
結果として、三人称で書かれた小説はドキュメンタリーぽくなり、重厚な
文章と読者は感じるようになる。
このドキュメンタリー風の文章をやわらげるためには、会話文を「」を使わないで地の文中に埋め込むという
手法が効果的になる。
仕方がない、と木戸が憂鬱そうな顔で言った。福岡を封鎖しましょう。
円卓に座った何人かの大臣や局長が溜息をついた。
村上龍「半島を出よ」上巻 p335
ある種の事件や事故を中心に小説を書くとき三人称は多角的な視点、重厚さを
かもしだし、効果を最大限に引き出す。
これとは逆に三人称で書いては、最悪になる小説というのも存在する。
ドキュメンタリー要素が希薄なものだ。
たとえば、
「アイコ、超奇麗じゃん。すげーチチ。巨乳揺れてる。ぼいんぼいーん」
馬鹿じゃん?命令すんじゃねえよ。バックとか騎乗位とか、
やってみたいからって連続でパッパパッパやるんじゃねえよ。
自分の見たいポーズ取らせるんじゃねえよ。
舞城王太郎
「阿修羅ガール」 p11
この文章をあえて三人称で書くと
「アイコ、超奇麗じゃん。すげーチチ。巨乳揺れてる。ぼいんぼいーん」と佐野が言った。
馬鹿じゃん?命令すんじゃねえよ。バックとか騎乗位とか、
やってみたいからって連続でパッパパッパやるんじゃねえよ。
自分の見たいポーズ取らせるんじゃねえよとアイコは思った
これじゃあ、持ち味のぶち壊しになる。
だから、小説の創作でも最低限のルールは守りましょうということになる。