小林恭二氏の「小説伝」は、どんなふうに書けば 芥川賞 をとれたのか? その2 具体的に構成を考えてみよう

西暦二〇六四年五月二八日。東京北区の公団アパートで一人の男が死んでいるのが発見された。
野々村佑介。本籍・・・・・・・・・・・・
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野々村氏の家で拾ったフロッピーのことを思い出し、読み取り機にかけた。
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コンピューターのディスプレイに現れたのは、小説だった。
前世紀から殆ど書かれなくなったあの小説であった。
しかも、それはただの小説ではなかった。
それは見たことも聞いたこともないような長い長ーい小説だった。

小林恭二氏の「小説伝」
より冒頭部分と最初の章の終わりの文章を引用しました

原作がこんな感じで書かれた小説をデフォルメするとなると、
きっと 〝「小説」が何か? をわかっている前提〟 では つまらないと思うだろう。
小説の中に登場する誰に聞いても「小説って何?」と言わせれば面白いものが書ける。

そう考えると、始めて「小説」を見つけた人は
それが何かをわからない状態で野々村氏の小説なるものを発見することになる。
そんな状態とはどんなシチュエーションだろう? と考えるのがいい。

ここで、常識ある方々は、義務教育の国語の教科書で
「羅生門」とか、「こころ」とかを教えているはず。
それなのに小説という概念がわからないとは!! と考えるだろう。
だが、カフカ「変身」の主人公は巨大な虫になっても
仕事に行こうとしている。
常識とか、当たり前など はかないものだ。

それに2064年の物語なのに、フロッピーが登場するのは滑稽だ。
フロッピーもパソコンも過去の遺物・骨董品と考える人
たちを登場させるのがふつうだ。

さて、ここまでの骨格で、「書き出し」は書けたとしても、
よどみなく「結び」まで つなげて書かかれたテーマを絞り出す必要がある。
また、ところどころの仕掛けも必要だ。
そんなわけで、次回はこのシチュエーションでのプロット
だけでも書いてみようと思う。

ブログで書ける範囲内 でね。迷える子羊のみなさん。

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