小説は2つの要素でできている

小説は2つの要素でできていると書くと、
人称・視点やら、登場人物、プロツトやら、起承転結・序破急といった作文の技法
といったさまざまな要素があって小説が作られるのに「2つに限定するなんて!」と考える方も多いでしょうが、
つきつめていくと、2つの要素に集約できます。

その1つ目は
どんな物語を作り
2つ目として
それをどんなふうに表現するかです。

しかも、ふつうの文章であれば、
「・・・をして、そのつぎに・・・があり、そのつぎに・・・がおこった」
というように文章を書いていくのでしょうが、小説の場合は、
時系列の並べ方で効果的な物語を作り、伏線・関連性によって
前述の2つの要素を満たしていき、完成度の高いものに仕上げるということになります。

ところで、小説というものは文単位では、
(A)章や描写場面といった比較的長めの文章
(B)数行で終わってしまうような短い文章
で、できています。

そして、そのどちらにおいても時系列の構成が工夫されています。
また、(A)のような長めの文章では次につなげるために
伏線がはられます。
それを表にすると、このようになります。

どうして、短い文章のまとまりには伏線がないのかというと
場面描写ごとに伏線があると、伏線が多すぎて、読者が迷路に入り込むからです。
また、大きな意味での伏線がなければ、つぎの章などとの関連性がうすれて、
小説としての完成度は低くなります。

さらにいえば、
(A)章や描写場面といった比較的長めの文章
(B)数行で終わってしまうような短い文章
のどちらにも時系列のいりくんだ構成があるとはどういうことだろう?
と思うかもしれません。

たとえば、1954年下期に芥川賞を受賞した庄野潤三氏の「プールサイド小景」
を例にしてこれを説明してみましょう。

この「プールサイド小景」の物語は
家庭のある平凡なサラリーマンが会社のおカネを使い込んで
クビになり、家庭が壊れていくというものです。

書き出しを略して引用してみます。

プールでは、気合のかかった最後のダッシュが行われていた。
・・・中略・・・
彼はこの学校の古い先輩であり、また今では小学部に在学する二人の男の子の父兄でもある
青木弘男氏である。
(「プールサイド小景」書き出し部分より)

ところが、
次の描写部分はこのように始まります。

青木氏は、一週間前に、会社を辞めさせられたのだ。理由は、ーーー彼が使い込んだ金の
ためである。
子供たちが眠ってしまった後、夫婦は二人だけ取り残される。
(「プールサイド小景」より)

さらに次の描写する場面では、このようになります。

子供たちは、父の突然の休暇を歓迎した。
(「プールサイド小景」より)

こんなふうに、小説は効果を考えながら時系列をいったりきたりして書かれます。

この時系列のいったりきたりはほんの2-3行の文章でも現れます。
村上龍氏の「走れ!タカハシ」にある短編「新学期が始まった」の書き出し
で説明します。

新学期が始まった。
満開の桜は嫌いだが、新学期はいい。サクラにはいやな思い出がある。
俺が高二で妹が中三の頃の四月、ちょうど桜が七分咲きの時期に、
刑事が三人踏み込んできてオヤジを逮捕していったのだった。
(村上龍氏の「走れ!タカハシ」にある「新学期が始まった」の書き出し部分より引用)

物語としてどんなふうに作り、それをどう表現するかを考えることによって
時系列が操作され最適な表現が選ばれるわけです。
そして、小説の書き出しから終わりまで、書かれたことをつなげていくために
伏線が生きてくるのです。

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