「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは・・・一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」
島崎藤村の「夜明け前」の名文だが、ここには最近は描かれなくなった描写というものがちゃんと描かれている。
この文章の書き方が最後までつらぬきとおされてきわめて優れた描写が続いている。
小説における文体とは、語り口の特徴であったり、文章のリズム感であったり、
心理描写や情景描写、行動描写、会話文のバランスだったりと、作者の文章表現の特徴を表すものをいう。
必然的に描写と密接な関係をもつわけだ。
描写とは、あるがままを描くことを言うが、絵画の世界では描写(デッサン)の能力が重要視されるが、小説においてはだんだん重要視されなくなっている。
「そして、誰もが描写しなくなった」なんて言えそうだ。
これ、じつは音楽の世界でイントロの短い曲がヒットするということとも関係しているように思える
Adoの「うっせぇわ」や、あいみょんの「今夜このまま」なんかイントロなしに始まる。
小説・文学の世界でも
Adoの「うっせぇわ」みたいな作品はちゃんと存在する。
減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。
私の自尊心。
返せ。
とか言っても・・・(舞上王太郎「阿修羅ガール」)
この疾走感のある文章はこの後も続くが、これが文語で書かれていたら
とても奇怪な文章になってしまう。もちろん、この後の文章は会話と行動描写になるわけだ。
これも文学(小説)世界の必然性!
こんなふうに、文体、描写とは作品の内容とか登場人物とか世界観とかで必然的に決まってくる。
「文学の作り方」の第一歩として、文体・描写について語ろうと考えるしだいです。