小説で使われる人称は一人称と三人称です。
一人称は一元視点ですが、三人称に関しては一元視点、多元視点、神の視点と三つにわけられます。
もちろん二人称で書かれた小説もあるのですが、あえて二人称で書くという必然性を考えると
成功しているとは言い難く、むしずが走るような気障な文章 として、読者の記憶に残るのが関の山です。

文学作品においては一人称が圧倒的に多いです。

三人称は3つの視点が考えられます。一元視点、多元視点、神の視点ですが、
三人称・多元視点は何かの事件を軸に物語を描くといった場合に使うと
それぞれの視点から見たことが物語に厚みを与えることにもなります。
村上龍「半島を出よ」
阿部和重「シンセミア」
などが代表的な例です。

神の視点は古典と言われる文学作品にはありますが、最近はみなくなりました。

一人称で物語が書かれると、主人公が子供なら子供の語彙力の範囲内で描写がされることになります。
それに、主人公の主観に依存した描写となります。

たとえば、公園で遊ぶ見知らぬ子供を見て、
公園では小学生が遊んでいた。しばらくして母親が声をかけた。
とは書けず、

公園では子供が遊んでいた。しばらくして母親らしき女性が声をかけた。
という表現になります。

三人称は、文学作品では多元視点で使われることがよくありますが、何かの事件を軸に物語を描くといった場合に使うと
それぞれの視点から見たことが物語に厚みを加え効果的になります。
ただ、視点人物をAと決めたら、Aの見た情景や、心理・行動しか描けないので
注意して書く必要があります。

これ以外にも、一人称多元視点というものもあるのですが、
今現在 知られている小説でいうと  伊坂幸太郎「終末のフール」 のように
ひとつのできごとを多くの人が一人称で語るというものになり、
場合によっては短編集のようにとらえられることになります。

物語の作り手としてどれを選ぶかはひとえに小説としてどのかたちが
効果的かを考えて決めることになります。
ひとつの事件・できごとをとうして人間を描こうとするなら
三人称多元視点は小説に重さを与え、効果を発揮することもあります。

一人称は一元視点。三人称は一元視点、多元視点、神の視点