小林恭二氏の「小説伝」は、どんなふうに書けば 芥川賞 をとれたのか? その1

小林恭二氏の「小説伝」
という小説がある。
1985年下半期の芥川賞候補に選ばれたのだが、
選考委員の評価はすべて 〝無し〟 だった。
昔、私がやっていた仕事の用語でいえば、BAL/NIL だ。

人を描くというのが文学での暗黙のルールなのに、人ではなく、「故人・野々村氏の小説」 をずっと描いたから
当然の結果ともいえるのだが・・・
ルールがないと言われる小説にも、最低限のルールはあるのだ。
(と、書いたが、「この文章、矛盾してるじゃーん」などとつっこまないでくださいませ)

とは、いっても、文学というくくりにこだわらなければ、
私個人としては「とても面白い」小説であることに変わりはない。

内容は、小説が読まれなくなった2064年に孤独死した
老人・野々村氏の遺品から超長編小説がみつかり、
いろいろな人がその解読を試みるというものだ。

ここまで書くと三人称多元視点にぴったりの小説だと思うだろう。
構成とか、書き方の見本になる小説は 村上龍「半島を出よ」 だ。
どうして、そんなことが〝パッ〟と思い浮かぶのか? と思う人は
「文学作品・小説の書き方講座」
をお読みください。

この作品を「小説の発見」という内容で書き直し、芥川賞につなげるとすれば、
芥川賞作品は250枚以内でないとだめなので、この段階で
三人称一元視点は没になり、一人称にたどりつく。

ちなみに、「小説伝」の冒頭部分を引用しておこうと思う。

西暦二〇六四年五月二八日。東京北区の公団アパートで一人の男が死んでいるのが発見された。
野々村佑介。本籍・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
野々村氏の家で拾ったフロッピーのことを思い出し、読み取り機にかけた。
・・・・・・・・・・・・
コンピューターのディスプレイに現れたのは、小説だった。
前世紀から殆ど書かれなくなったあの小説であった。
しかも、それはただの小説ではなかった。
それは見たことも聞いたこともないような長い長ーい小説だった。

小林恭二氏の「小説伝」
より冒頭部分と最初の章の終わりの文章を引用しました

次回はこの章の続きを書きます。

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