三人称表現での描写は難しい

小説の中でも(特に文学)は説明ではなく。描写をしろという。

彼は悲しいと感じた

この文章を文学作品の中で書いたら、
「それは、描写でなく、説明だ!」と批判されるだろう。

文学作品では登場人物が何をどう見たのか、感じたのか? が重要になる。
ところが、一人称ならそれができても、三人称で書かれた文学作品だと
いきおい難しくなる。

描写は書かれた文章から読者の想像力に訴えるものだ。

寝巻き姿のおじいちゃんが家の下の道路を歩いていき、電信柱の下にゴミ袋を置いていった。朝が始まる。
(綿矢りさ・蹴りたい背中 河出書房170ページ)

これが描写なのだ。読者にイメージを彷彿させるもの、それこそが描写だ。
ところが、残念なことにこの小説も一人称で書かれている。
主人公である私が見て感じたものがこのような描写に帰結する。

では、三人称主人公が見て感じたものはどのように描けば最適解なのか?

阿部和重のシンセミア
や、村上龍の半島を出でよを読めば、なんとなくわかってくるはずだ。

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