会話文を「」に入れるか、地の文に含めるか?

会話を「」に入れるか、地の文に含めるか?
小説を書きながら迷うことは多い。
じっさいに芥川賞受賞作家でも会話文は「」に入れたがる人と、地の文を多用する人がいて
正解などない。
どちらを選ぶかの判断は難しいが、会話文を「」に入れることで会話が地の文から孤立してしまうということがある。
また「」は文章のリズム、流れを止めやすい。
逆に、会話の内容を強調したいときや、会話であること、誰のしゃべりであることを明確にしたいときは
「」は役に立つ。

地の文に入れた会話文の書き方がうまいと思う作家は何人かいるが、舞城王太郎の「阿修羅ガール」
や、村上龍の「走れ!タカハシ」は参考になる。

たとえば、

 お前にはさのうがない、とコーチは言った。さのう? さのうて何や? 台風の時にていぼうとかに積むやつかな、
しかし台風とか堤防とかこのコーチは何言うてんのやろ、完全なアホやな。
「さのうてわかるか?」
砂を入れた袋でしょ?
抜粋元 村上龍の「走れ!タカハシ」 part5

この文章は会話文で始まるが、「」ではなく地の文に埋め込んでいる。会話の後に主人公の心の声・思考が続き、
今度は「」で書き、 「さのうてわかるか?」という文章で、”思考” から 現実世界に意識をもどしていく。
こういった会話文の工夫についてを意識的に文章を読むことで自然に書き方が洗練されていくものだ。

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