安部公房風小説は、こうして作る。その2、安部公房風文学の作り方を、他の作家の小説を安部公房が書いたらどうなるのか? 安部公房風小説の作り方を体系化してみた。

前回は安部公房氏が矢作俊彦氏の 「ららら科学の子」を書いたらこうなるというものを作り上げてみた。
とは、いってもほんの一部でわかりやすい部分だけなのだが。

安部公房風の文学作品を作るためにはポイントは2つしかない。と書いた。
ひとつは、きわめて独創性の強い構造・構成、世界観
そして、もうひとつは科学的に表現しようとする文体だ。

池澤夏樹氏の小説にも理系と思わせる表現はあるが、
池澤夏樹氏はそれを会話中に入れ、安部公房氏は会話以外にも
描写部分、なかでも心理描写のなかでもそれを使う。

池澤夏樹氏の作品がしゃれていて詩的であり、安部公房氏のほうが理屈っぽい、難解と
思えるのはこんなところに違いがある。

そんなわけで、矢作俊彦氏の 「ららら科学の子」に話をもどそう。

この小説の内容は、殺人未遂にとわれて中国に逃げた男が30年ぶりに日本に戻るという内容だ。

こうして彼は、新幹線〝こだま〟で日本に帰った。
東京駅で降りると、何より先に公衆電話を探した。
誰でもいい、誰かと話したかった。松崎のバスターミナルで買った西伊豆観光の紙袋を足のあいだに挟んで、
電話の前に立った。

矢作俊彦氏の 「ららら科学の子」
冒頭部分引用

この小説を安部公房風に書き直すとこうなる。
(あくまで私の感覚でデフォルメしたものです。再びですいません)

【書き出し】
こうして、
三島駅に着いた。改札をとおり地下通路を新幹線のホームに向かった。
駅前にいた背広の男は五・六番ホームと言っていたが、そこには金属製の閉じられたゲートがあった。
改札とおぼしきそのゲートを通過するにはどうしたらいいのか戸惑い、立ちすくんでいるところを
後ろから声を掛けられた。
振り向くと、そこには制服で徽章がついた帽子の男がいた。
一瞬、公安民警だと考え、みまがえたが、
ここは日本なのだということに気づき、いっきに体中から力が抜けた。

・・・・・
新幹線の車窓から見える景色は透き通って見えた。少なくとも
大陸のpm2.5に満ちた、くすんだ大気とは異なるものがそこには流れていた。

・・・・・

【最終章 結び】
こうして、
三島駅の改札をぬけた。その風景に、男は強い既視感を感じていた。
以前、来た場所だろうか?
駅前にいた背広の男は五・六番ホームと言っていたが、そこには金属製の閉じられたゲートがあった。
改札とおぼしきそのゲートを通過するにはどうしたらいいのか戸惑い、立ちすくんでいるところを
後ろから声を掛けられた。
振り向くと、そこには制服で徽章がついた帽子の男がいた。

と、
ここまで読んでおわかりいただけただろうか?
この安部公房風の書き出し部分と結びだけで
何がわかるかと言いたい人もいるだろう。

この安部公房風「ららら科学の子」は、書き出しと、結末がほぼ同じ文章になっている。
メビウスの輪ともいうべき、始まった小説が最後に
終わりになるはずなのに、始まりに戻っているのだ。

しかもこの安部公房風作品の【最終章 結び】

振り向くと、そこには制服で徽章がついた帽子の男がいた。

となっている。
この文章は「このあとどうなるのか?」を読者に推察させるという意味で
半端ない効果を持つ。つまり、読者を物語にのめりこませるのだ。

もっとも、別の安部公房風の終わり方もできる。
たとえば、

【最終章 結び】
やっと、たどりついた自宅で鍵をかけ身を隠す。
自分の心臓の鼓動だけが聞こえるほどの静寂な時間がながれていった。

しばらく寝ていたらしい、ドアの前の壁にもたれて。

何かで急に起こされた。どうやら
アパートの室外の廊下を誰かが歩く音だと気づくのに時間はかからなかった。
灯りもつけずに暗い室内でその音を聞いている。
心臓の鼓動が早まっている。

やがて、私の部屋の前で足音が止まる。

安部公房作品の独創性と読者を魅了する構成は、
かまし を意識した「書き出し」で始め、「結び」まで
よどみなく つなげて書かかれた

ということで成り立っている。

つまり、安部公房風の小説を書きたければその構成を
このようなものにする必要がある。

この小説の構成は
読者の想像力をかきたて、読者に推理させ、
読者を物語にまきこむのだ。
それゆえに、今でも安部公房は世界で読まれることになる。

参考:
「書き出し」で読者の想像力や興味をそそることができなければ、読まれない小説となる。それがどんな高い評価をうけても。

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